今日は妻が一人目を妊娠しているときになってしまった、「切迫早産」に関して書いていきたいと思います。
自宅安静から入院、点滴の副作用による肝機能の低下、妊娠高血圧症候群、出産と色々とありました。詳しく書いていきますので是非、最後までゆっくり読んで頂ければと思います。
目次
突然の切迫早産の診断!!
妊娠20週の定期診断にいつも通りママに付き添って産婦人科へ車で向かいました。その日はちょうど、7月の3連休初日で検診が終わったら神奈川の実家に帰省することにしていました。
病院は自宅から車で20分くらいのところにある比較的大きな産婦人科です。
そこの病院は先生が何名もいらっしゃって、指名をしなければ毎回先生もランダムというようなシステムになっています。妻は特に強いこだわりがあるわけでもないので、いつも通り指名なしで受付けをしました。
そしてママが呼ばれて、診察室に入っていき、しばらくすると看護師さんから 「ご家族の方どうぞ」 と言われ診察室に恐る恐る入室。
「え。。。なに?赤ちゃんに異常でもあったの?それともママに何か?」(心の声)
などと一瞬で色々と頭の中でぐるぐるしたのを覚えています。
先生「あのね、旦那さんね。切迫早産」
パパ「あ…はい…それって…」(何なんだその怖い名前は…)
先生「赤ちゃん産まれそうってことです。下がってきているんで」
パパ「え…?どうしたらいいんですか?」(産まれたらやばいじゃん)
先生「とりあえず薬出します、ウテメリンっていうお腹の張りを押さえる薬。でもねこの薬はそんなに効かないから、一番の薬は安静ね」
パパ「安静ですね…はい…でもどれくらいの安静ですか?」(お出かけ禁止かな…)
先生「トイレとご飯以外は基本寝ててください。お風呂も週一回でシャワーね」
パパ、ママ「……」(安静半端ないって!!めっちゃ安静するやん)
そのあと、子宮頚管長の長さがどうとか、色々と説明されましたがあまり覚えていません。
先生「これ以上、進行したら入院になるので、お大事に」
パパ「はい。わかりました。ありがとうございました…」(ううぅぅ涙)
とりあえず、実家への帰省は諦めて、おとなしく自宅に帰ることにしました。
自宅での安静生活
帰りの車の中の空気は重く、せっかくのつわりが楽になってきて楽しみにしていたマタニティライフが…という思いやこれから毎日をどうやって過ごしたら良いのだろうと、お互いあまり言葉を発することもなく、車を走らせました。
家に着くと、そんな感傷に浸っている暇もなく、すぐにリビングに寝るスペースを作りました。日中も出来るだけ横になって過ごしてくださいとの指示でしたので、リビングの隣にある和室に布団を敷きました。
いつまで続くかわからない寝たきり生活の不安と赤ちゃんに何かあったらどうしよう、という気持ちがグルグルと頭の中を駆け巡ります。
妻が寝たきりになったので、会社を休みますとは言えずとりあえず会社に行く為に宅配の弁当が毎日届くように手配をしました。
この時に実家の母に頼ればよかったと後悔することになります。
実際妻は弁当の受け取り、飼っている犬の世話などで結局、完全安静の生活はできずに動いてしまいます。
切迫早産による入院
30週の検診でついに入院を宣告されます。
その時の子宮頚管長は2ミリ以下、入院に必要なものを取りに一度ドラゴンパパは自宅に戻ります。今思うと安静にしていたつもりでした。今の知識があればもしかしたら入院が免れたのではないかと思います。
入院した瞬間からウテメリンという子宮収縮緩和剤の点滴を受けながらの生活が始まりました。入院管理した方が安心だし、パパも良かったんじゃない?とよく言われました。当時は自分もそう思っていました。
ですが、今思うと妻の精神的な苦痛や薬の副作用などを考えるとやはり自宅で安静にできるならそのほうが良いです。
長期入院で便利だったグッツ
切迫早産だからというわけではありませんが、長期入院は何かと不便が続く毎日です。ドラゴンパパの妻が入院生活で役にたったものを紹介します。
お役立ちアイテム
・延長ケーブル:スマホの充電器だとケーブルが短くて何かと不便なので。
・S字フック:何かと引っ掛けるのに便利です。
・イヤホン:テレビを見るためにそこそこ良いやつあると耳が痛くないです。
・アイマスクと耳栓:他人の点滴が無くなった時の「ピロロン、ピロロン…」という音で目が覚めます。また看護師さんの夜間の巡回もあるのあった方が良いと思います。同室の人のいびきやトイレの移動なども気になります。
上記以外は個人的に持っていきたいものを邪魔にならない程度に持っていきましょう。
ウテメリン点滴の副作用で肝機能低下
ウテメリン点滴を開始して2週間で早くも副作用が出始めます。
常に薬を体に投与し続ける事はそれだけ、肝臓が仕事をしなくてはなりません。やはり体に負担がかからない訳ではないのです。肝機能が低下してしまい、点滴をやめたあとも肝機能が正常に戻るかどうかは絶対大丈夫とも言えないみたいで妻は非常に不安を感じていました。
また、自分の体のせいで点滴が継続できずに赤ちゃんが出てきてしまったらどうしよう…などど不安になる一方でした。
そしてついに、34周目で点滴の継続が難しいとの判断で点滴を中止します。病院にいても処置ができないのと34週に入ったこと、さらに精神的負担を考慮すると自宅に戻った方が良いとの医師の判断で退院となります。
再び自宅安静の日々
状態が良くなったからの退院ではないので、自宅でも緊張状態は続きます。入院前の生活では悪化する心配があった為、妻の母に協力を求め泊まり込みでサポートをしてもらいました。
それこそ、食事とトイレ以外は寝たきりの状態を作りました。はじめからこうしておけば良かったと後悔です。
病院には週一で通院して検査を受けます。ですが検査を受けるたびに今度は血圧が上昇していきます。
妊娠高血圧症候群で再び入院
38週の正産期を迎えましたがこの時点で、医師の判断は妊娠高血圧症候群になっているので、入院管理をすると言われ再び入院生活に戻ります。
妻は精神的にも体力的にも本当に限界です。見てるこっちが辛くなります。
入院して3日目にこれ以上は母体にも赤ちゃんにも良くないので、バルーンと陣痛促進剤を使用して計画分娩に持ち込むとのこと。医師から説明を受け治療方針同意書にサインをしました。
バルーンを使用するもなかなか進行しない
バルーンという水風船を使って子宮口を無理やり広げます。切迫早産で産まれそうだったのに、今度は無理やり誘発かと思うと何だか不思議な気持ちです。
朝9時頃にバルーンを入れました。しばらく入れっぱなしにして、子宮口が4センチまで広がればするっとバルーンが抜け落ち、成功となります。当然無理やり広げるので妻は声が出るほど激痛だったと言っています。
妻の場合は2センチしか広がらず翌朝もう一度、やるかも知れないと言われていました。ですが、翌日のバルーンを待たずして、朝5時頃に破水します、そして前駆陣痛が始まります。
出産
明け方に妻から連絡があり、病院に向かいました。8時頃に病院に着くと既に妻は陣痛室から分娩室に移動しており、お産の体制になっていました。
寝たきりだったことと、妊娠高血圧症の為、途中で自然分娩から帝王切開に切り替える可能性もあると言われました。出来るだけ短い時間で無事に出てきてくれる事をただ祈るばかりです。
そして遂に14時18分に元気な女の子が誕生します。
今こうやって記事を書く為にその瞬間を思いだしていますが、昨日のこと、いやついさっきの事のように思い出します。本当に辛い妊娠生活と出産になってしまいました。きっと妻もまさかこんなことになるとは想像もしていなかったと思います。
色々な感情が入り混じって、涙が出てきました。これを書いている今も泣きそうです(笑)
まとめ
・20週で切迫早産と診断される
・30週で切迫早産で入院、2週間後に副作用で肝臓数値悪化。
・34週時点でウテメリン点滴の継続ができない為、仕方なく退院し自宅安静。
・毎週通院し検査をするが血圧が徐々に上がっていき、妊娠高血圧症と診断される。
・母体が厳しいと判断され、38週で再入院。バルーンを使って陣痛を誘発。38週と2日で出産。
最後に
妻の妊娠から出産を近くで見ていて感じたことは、本当に妊娠、出産はママも赤ちゃんも命懸けなんだと実感しました。もちろん何事もなく、妊娠、出産までいく妊婦さんも沢山いらっしゃると思いますが。私はこの貴重な経験やその時感じた気持ちを一生噛み締めて、妻と子どもに感謝し続けたいと思います。
この記事の妻本人視点での記事はこちらをご覧下さい。
1人目が切迫早産で辛くて2人目を不安で迷っているあなたへ! 1人目切迫早産で入院して、2人目を妊娠出産したママから伝えます。