切迫早産

不妊治療をしてもすぐに妊娠出来ない。妊娠するまでの道のりは思った以上に長かった。不妊治療を経て赤ちゃんを授かったママから伝えます。

私たち夫婦は子どもが欲しくても、なかなか妊娠できずに不妊治療を行っていました。その時の、妻の気持ちと体験を記事にしました。

以下、ドラゴンママ執筆のまま掲載します。

妊娠までの道のり

結婚したらすぐに子どもは授かるもの。そのくらいにしか思っていなかった結婚前の私。まさか自分が妊娠するのに苦労するなんて…思いもしていなかった。

子どもに対する考えの夫婦間のズレ

結婚したら子どもが欲しい。私からしたら当然の考えでした。小さい頃から子どもが大好きでずっと幼稚園の先生になりたいと夢見ていました。現に児童福祉学科を学び保育士の資格を取り、幼稚園ではなかったけど保育園に勤め、念願の先生になりました。しかし結婚と引っ越しのため保育園を退職をしました。この時私は退職後は自分の子を作って育てることをイメージしていました。

しかし夫からは『子どもは1~2年作らない』と言われてしまったのです。まだ二人で遊びたい、ゆっくりしたいという理由からでした。ですが私たち付き合って7年…十分遊んだはずだ。私は家族を作りたい。

『欲しいって思ったときにはできにくくなってるかもしれないよ?』

と言った私に夫は

『できなかったらできなかったでいいよ!二人で生きていくのも楽しいよ!』と言った。

言葉を失いました。

このセリフ、不妊治療を頑張って頑張ってそれでもできなかったときとかに言うことじゃないの?と私はそんな風に感じていました。ですが、無理なものは無理。

相手に子どもはまだと言われてるのに授かるはずもなく。夫が欲しいと言ってくれる日を、いつになるかわからないその日を待つことになったのです。

何度も子どもが欲しいと思いを伝え、何度も打ちのめされ、何度も泣きました。女にはタイムリミットがある。

これで本当に望んだとき授かれなかったら私はあなたを責め続けると思う。そう伝えたけれど私の思いは届きませんでした。1年たっても夫の考えは変わりませんでした。

このとき私が言われたのは

『家を建ててからにする』

『家を建てて子どもを受け入れる状態を作ってから!』

私には更に妊娠が遠退き、もしかしたら家も子どもも無理なのではないかと…。
ですが、そう言うならさっさと家をたてるしかない!家を建てたらもう言い訳させない!そんな風に思うようになりました。

家造りはもちろん楽しかったし、今思えば夫の言う通り家を建ててから子どもの方が良かったです。夫の言うことは正論です。小さな子どもを抱えながら家を1から考えていくのはとても大変なのもわかります。

実際、子連れで打ち合わせどころではなさそうな姿をよく見かけていた。子どもが先だったら今のように満足のいく家はできてなかったかもしれない。そして家が建ったところで引っ越しだって子どもがいたら大変…。本当にその通りなんです。

もし今、子どもが先か家を先かで悩んでる人がいたら、家を先にすることをすすめると思います。ですが、どうしても子どもが欲しいと焦りのある人にはやっぱり簡単には家が先とは言えません。

後々後悔してほしくないから。先に妊活しておけば良かったと思ってほしくないから。可愛い我が子がいたら打ち合わせの大変さも、家作りがちょっとうまくいかなかったとしても、引っ越しの苦労も、全部笑えると思うから。

実際に我が家は土地だけで決まるまで1年近くかかりました。

でもそれでも家が先で良かったと言えるのはそれは結果論。授かれたから良かったと言えただけです。

妊活スタート

家も完成し、そして遂に!夫から『子どもをつくろう』と!半ば言わせた感はありましたが、とにかく1歩前進です!

そこで妊娠に必要な知識を身につけ、自分なりにチャレンジ。基礎体温、もちろんつけていました。なかなか続かない高温期に何度も落ち込みました。

妊活開始から1年、私の元へ赤ちゃんは来ませんでした。正直その頃、ほらね、ほしいのにできないじゃんと夫を責める気持ちがありました。

妊活中、夫が前向きでないことにイラだったり、生理が来る度に落ち込んだり、友達の妊娠が羨ましくて仕方がなかったり。

頭は赤ちゃんを授かることでいっぱいでした。

不妊治療の始まり

1年自然に授かることはなかったので、妊娠前検査を受けることに。中でも卵管造影検査…これは辛かった。痛かった。

足がガクガク震えて痛みで勝手に涙が流れた。それでも何か原因を見つけて我が子を授かれるなら…そんな思いだった。

結果、特にこれと言った不妊の原因はありませんでした。
ほっとするような…でもそれならなぜ授からないんだというような焦りも。
そこからタイミング法での不妊治療が始まります。

私が通院していたのは不妊専門ではなく、産婦人科。目につくのは妊婦ばかり。不妊で来ている人なんて自分だけのように感じてしまいます。お腹が大きい妊婦さんを見るのが辛かったです。

子どもを連れて妊婦検診に来てる人を見ると、なんで二人も三人もその人は授かれて私には一人も来てくれないんだと嘆いた。注射も薬もやって、タイミングを守って…なのに毎回リセットするのは何でだと思うようになりました。

また妊婦だらけの産婦人科へ行かなければならない。友達の妊娠が羨ましいどころか喜べなくなってきている。どんどん自分が嫌なヤツになっていく自分がいました。

妊娠した周期

毎回リセットするのに病院に行く意味はあるんだろうか?

そんなことを思い始めたのは通院してから半年の頃。たまたま診察してくれた理事長先生が私の気持ちを読み取っているかのように

『リセットするとがっかりしちゃうでしょ?でもね、今やってることはちゃんと意味のあることですからね。大丈夫ですよ。あなたにとってベストなタイミングで赤ちゃんを授かれますからね』

そんな言葉をかけてくれた。帰りの車で私は泣きながら運転していた。辛いけど、この通院にはちゃんと意味があるんだ。きっと赤ちゃんは来てくれるんだ。そんな安堵の涙があふれました。

その周期で私は一人目を授かることができました。私は今でも妊娠できたのはあの言葉のおかげだと思っています。

そう思っている。あの言葉で私は救われた。先生のあの『大丈夫です』の言葉は魔法のように私の心を軽くしてくれたんです。

ストレスってすごく影響するんだなと感じます。欲しいのに出来ない焦りとイラ立ちが、私の場合1番の不妊の原因だったように思います。

半年で授かれたのは早い方と言われますが、それでも本当に長く感じたし辛かった。私は当時、辛いと思う自分を責めたりもしました。私には妊娠できる可能性がある。しかもまだタイミング法の段階。不妊治療がステップアップしてもっと妊娠率が低いなか頑張ってる人はたくさんいる。

もっともっと長い期間戦ってる人がいる。なのにこの時点でこんなに辛いと思っている自分が情けないと思います。でももし今、この時の私と同じように自分を責める気持ちを抱えてる人がいたら私が『大丈夫』と言ってあげたいです。

辛さの度合いは人と比べることは出来ない。辛かったら辛いと。苦しかったら苦しいと夫や先生にきちんと話してたまに休憩しながら、のんびり屋の赤ちゃんを待っていてあげて欲しい。私の元に来たのんびり屋さんは、私を喜ばせてくれたのも束の間で。

妊娠さえすれば無事に産まれると思っていた私に、また新たな次の試練が待っていました。

ーーーここまで、妻(ドラゴンママ)の執筆ですーーーー

如何でしたでしょうか、やはり本人にしか分からない心の中の気持ちなどが皆さんにも伝わったと思います。

ABOUT ME
ドラゴンパパ
ドラゴンパパ
1983年産まれの埼玉県に住む普通の中年サラリーマンです。2児のパパで育児を全力で楽しみながらも大企業で出世を狙う欲深い人間です。ですが出身大学は通称Fランク大学。そんな私がサラリーマン生活で取得したノウハウや育児で困ったことなどを多くの人にシェアしたいと思いブログを開設。本当はブログでお小遣いを稼ぎたいと思っている事は、妻には内緒です。