ドラゴンの知恵袋

切迫流産、切迫早産で入院したママから伝えます。思っていた妊娠生活は何処へ? 元気な妊婦が羨ましい!今不安で仕方がない、切迫妊婦さんたちへ

今回は、切迫流産、切迫早産の診断を受けて思い描いていた妊娠生活を送ることが出来なかった、妻が記事を書いてくれました。

今この記事を読んでいる方ももしかしたら同じ状況かも知れません、そんな人の役に少しでも立てば良いと思い記事を書いてくれました。それでは、はじまりはじまり~

一人目妊娠

私の妊娠発覚はフライング検査だった。どうしても妊娠している気がしてソワソワ…待ちきれず朝の5時頃に検査薬を試した。

今まで一度も見ることがなかった線がくっくりと浮かび、本当に本当に嬉しくて涙が出た。そして無事に産婦人科でも胎嚢を確認することができた。

その瞬間から不妊で通っていた病院の景色はいつもとはなんだか違って見えた。私が妊婦となり、そこにいることが夢のように感じていた。

ですが先生からはまだ『おめでとうございます』の言葉はない。

私がイメージしてたのは『おめでとうございます。妊娠してますね。○週目ですよ』っといった感じ。しかしおめでとうの言葉がないどころか、

『まだこの妊娠が継続するかは分かりませんからね。心拍を確認しないと。確認できても止まってしまうこともありますからね。』と。

では一体いつになったら喜んでいいのか?なんでそんなマイナスなことばかり言うのか?そんなこと言われたらダメになってしまう気がして不安の日々を過ごした。しかしお腹の子は順調に育ち、初めての母子手帳をもらうことになる。

母子手帳もマタニティマークも手にすると、それだけで本当に夢みたいで浮かれていた。

男の子かなぁ、女の子かなぁ、名前は何にしようかな…そんな楽しいことばかり考えていた。検診が楽しみで、エコーで見る赤ちゃんはかわいくてたまらなかった。
妊娠したら無事に出産できる。そうとしか思っていなかった。

悪阻の始まり

妊娠発覚当初は『悪阻がないから妊娠してる実感がわかない!』なんて言っていましたが、すぐにやってきました。初めて気持ち悪さを感じたときは『これが妊娠してるってことかぁ!』と少し喜びも。

しかしそんなのは一瞬で。私の場合は吐き悪阻、食べ悪阻、よだれ悪阻といった感じ。空腹が気持ち悪い。色々なにおいもダメ。吐き気はいつも。毎朝必ず強い吐き気が襲ってきて吐きたいのに吐くものがないため胃液を吐いていた。

お水を飲んでもすぐに吐く。朝はりんごを自分の歯ですりおろすように少しづつ食べて胃に入れる毎日。悪阻っていつ終わるのか分からなくて本当に辛いですよね。

私は辛い時期は塩おせんべいや梅干し、凍らせたフルーツなどを口にしていました。あとはフライドポテトなら食べられる人が多いと聞いて試してみたらいけました!

生物は見るだけで気持ちが悪く、しばらく魚売り場を通れませんでした。スーパーは本当ににおいが辛かった。

嗚咽で涙をためながらスーパーに通いました。

大好きだったお寿司ももう2度と食べたくないと思っていました!ですがやっぱり終わりはきます!

悪阻期間は約2ヶ月ほどでしたが、終われば大体の物が食べられるしあんなに嫌だった生物も妊娠後半には食べたいなぁと思えるほどになっていました。

切迫流産、切迫早産

悪阻も落ち着き、出産までに買いたいもの行きたいところ見たいもの…1つづつやっていこうと思っていた頃。

20週の検診で『切迫流産です。安静にしてください』と言われる。

なんですかそれ?安静ってどの程度?今このまま実家に帰省する予定ですけどそれはいいんですか?切迫を知らなかった私は先生にこんなことを聞いていた。

『トイレや食事以外寝たきりです。座るのは安静と言わないので寝ていてください。』

『赤ちゃんが下がってきています。』

『産まれちゃいそうってことです。でも今産まれたら赤ちゃんは助かりません』

先生の言葉があまり理解できないというか頭に入ってこない。せっかくやっと授かった赤ちゃん。苦しかった悪阻だって乗り越えたのに。赤ちゃんいなくなっちゃうの?大丈夫なの?

この日から1週間、もう1週間と祈るような気持ちで1日でも長くお腹にいてくれと願う日々が始まった。お腹に何度も話しかけた。

『お願いだからもう少しお腹にいてね。元気に会おうね。まだ出てきちゃダメよ』

初めての妊娠でただでさえ不安だらけの中、切迫と言われてからはトイレに座るのさえも怖かった。

一見、寝てればいいだけと辛さを理解されない場合もある。でも気持ちや体は元気なのにひたすら寝ていなければいけないのってやってみるとかなりしんどい。

体中が痛い。テレビや天井をボーッと見ながら、良くないことばかり考えてしまう。そんな私のそばにはいつも愛犬が寄り添っていて、励ましていてくれているようだった。

家にいるのに、時間はたくさんあるのに何もできないストレス。掃除だって洗濯だって料理だってやりたい。何もしないってこんなにも辛いなんて…。

食事は生協でお弁当を頼んでました。お腹張りやすいからなでるのも控えるように言われてました。

お腹に手を当て赤ちゃんの存在を感じることさえあまりできません。こんなに安静にしているのに容赦なく子宮頸管は短くなります。

切迫早産、入院

30週の検診でついに『今から入院してください』と告げられる。帰宅することは許されない。即入院。すぐにノンストレステスト。

張りがあるため点滴開始。ウテメリン。24時間点滴。繋がれっぱなし。

夜中だろうが容赦ない点滴交換。相部屋だと毎日夜中でも誰かしらの点滴の音が鳴り響きますよね。これも地味にストレス。

狭い空間、カーテンで仕切られ、窓もなく、本当に孤独でした。

何よりお風呂に入れない。数日に1回、先生の許可を取れれば15分の時間制限があるシャワーが許される。唯一点滴と離れられる瞬間。ですが、うちの病院はシャワーのときに洗髪はNGでした。

1週間に1回~2回洗髪の予約を取ってシャンプー台で洗ってもらうシステムでした。入院して数日後、同室の人と話す機会が!ここで同室の人と初対面でした。

私は二人部屋だったのもあって、1度した会話をきっかけにすぐに仲良くなれ1日の半分はお互いにカーテンをあけて過ごせるようになりました。

会話する相手がいることと外の景色が見えることで少しは前向きになれました。しかし副作用。手が震え動悸もあり食事があまり進まなくなっていました。

完食できることがほとんどなくなっていきました。

しかし私はまだ点滴の流量、少なかったんです。張りは落ち着いてたため、入院してから流量アップはされていませんでした。しかしウテメリン点滴の副反応で起こりやすい肝機能低下も。点滴して3週間たつかたたないかの頃でした。

『肝機能が低下してるから点滴をやめて様子を見るのと同時に、肝機能を良くするお薬を始めます。薬で肝臓はすぐ良くなりますから』と言われたものの…。

『あれ?良くならないな…』と先生が言い残して去っていったり『このまま肝機能戻らなくて張りも出るようならハイリスクになるから転院かもね』と看護士に言われたり…

ウテメリンがダメならマグセント。マグセントについてネットで調べては恐怖を感じていました。とにかくこの頃は全てが恐怖だった。

無事に産めることなんて想像できなかった。自分は元の体に戻れるんだろうか?赤ちゃんはこんなに薬漬けで大丈夫なのだろうか?頭の中は常に良くないことばかりを考えていた。
入院期間は精神的に追い詰められていて身内以外、面会を断っていた。

人と会うのが大好きな私が、誰にも会えず、母や夫の前で泣いてばかりいた。弱いママでごめんね。

でも逃げ出したい。この場から逃げたい。どうやったら病院を抜け出せる?そんなことばかり考えていた。でも赤ちゃんを守りたい気持ちは変わらなかった。だから逃げられなかった。

34週退院

ウテメリン点滴を外していても張りはなく、肝機能の薬だけになっていたが肝機能も戻ったため病院でただ安静にしてるだけになった。

しかし頸管長は0.4。ほぼないに等しい。この状況で退院が許された。

私に退院を許した先生が『他の先生だったら退院させてくれないと思うよ』と言いながらの退院。

絶対安静を保つ約束での退院。

家に帰れる喜びと、病院にいれば何かあったときは安心、家で何かあったらどうしようという不安。たぶん不安のほうが大きかった。でもとにかく帰りたかった。

それから正産期まで、家では食事も寝たままとった。病院と同じように安静どころか病院より安静にしてたくらい。そして無事に生産期を迎えた。

昨日まで切迫早産、今日から少しづつ動いていいですよ…この切り替えはなかなか難しい。動きたくても動けないどころか座っているだけでも息切れするようになっていた。

私は妊娠中、赤ちゃんの服選びを楽しみにしてました。しかし手にとって買えた服は1枚もありません。

全てネットで頼むか母や夫に買ってきてもらいました。それがすごく悔しかった。唯一出産準備で自分で手にとって選べたのは抱っこ紐でした。

妊娠中、あれもしたかった…と考えればきりがありません。赤ちゃんが元気に産まれることには変えられないとは分かっていても。何事もなく動けてる妊婦さんが羨ましかったです。

ですが、戦ってるのは自分だけじゃない。お腹の赤ちゃんや支えてくれる夫や母もそうですが。

何より同じ状況で戦ってる人がいる。それがすごく支えになると思います。ブログやインスタグラムで探してみると、自分だけじゃないんだなって思えます。私の支えでした。

なんとか切迫早産を乗り越えたものの、次は妊娠高血圧症候群になってしまうのです。

ーーーここまで、妻(ドラゴンママ)の執筆ですーーーー

如何でしたでしょうか、今となって改めて約4年前の事をここまで鮮明思いだし、かけると言う事は相当な辛さだったことが想像出来ます。

 

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